お知らせ

2020-10-19 22:37:00

旅ガイド&観光ガイド「旅 歴史ものがたり 遊」 特別編 ②

感動・愉快・不思議 ものがたり を行く

例えば次のような「ものがたり」が各地にあります。

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上野公園

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①明治十六年、上野と熊谷の間に鉄道が敷かれたとき、中仙道にそって板橋駅をつくる予定でした。しかし、駅をおかれては、泊り客がへって宿場がさびれてしまうとの理由で、土地の人々が猛反対したため、やむなく裏街道へ変更されました。しかし、反対運動には成功したものの、駅の出来た裏街道が賑わい、宿場はだんだんさびれてしまい、この反対運動が板橋宿の命とりになりました。

 

 

②武将・青砥左ヱ門尉藤綱は、川に十文の銭を落しました。藤綱は早速、人夫を集め、五○文の銭をかけて川の銭を見つけたのです。世間の人は藤綱を「一文おしみの百知らず」と云って笑いましたが、この時藤綱は「川に落ちた十文をそのままにすれば、国の宝が失なわれる、これを見つけるに五○文の銭を使ったが、この銭は人の手から手に渡って世間の役に立つであろう」と、お金の大切さを説聞かせました。

 

 

③那須御用邸、総理大臣・吉田茂氏が、黒磯から御用邸に通ずる道路を舗装するよう命じました。その折、昭和天皇は、県道からわかれて御用邸内までの舗装費用を節約され、その分を湯本温泉までの舗装費用にまわすよう御希望されました。

 

 

④ある年の節分の晩のことでした。黒姫村でも豆まきがはじまり、方々の家を追われた鬼は、勘右エ門さんという家の玄関にかくれましたが、御主人が豆ますをかかえて、「さて玄関から」と、まこうとすると、うす暗がりに鬼がおどおどとおびえきっています。気のやさしい勘右ェ門さんはすっかり気の毒になり、とうとう「鬼は外」がいえず、「鬼はうち、福も内」とやってしまいました。

 

 

⑤小原庄助の一枚上をゆくサムライが鶴岡におりました。その名は武山勘也衛門、酒井藩のお侍で四○○石の緑高でした。お酒にほれこみ夜となく昼となく、自宅だろうが一膳飯屋だろうが、お酒ある所勘右衛あり、勘右衛ある所トックリがありの、ほろよいそしてこの世とお別れする時、自分の戒名を”強呑院(ぐいとのみん)蕩薬日寝居士(どうらくひるねこじ)”と自分でつけたそうです。この戒名を刻んだお墓は、今でも鶴岡の本鏡寺にあります。

 

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このような感動的な「ものがたり」、ちょっと愉快な「ものがたり」、とても不思議な「ものがたり」などを各地から案内させていただいてろいます。

 

旅先で感じるのも一興ですが、普段の仲間とのお茶話の「ネタ話」としても座を楽しくさせてくれるのではないかと思います。

https://tabi-monogatari.com/free/kandou

 

コチラからお楽しみいただけます。

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岩手山

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泉涌寺庭園

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三千院の万灯会